2010年09月09日

菜々食との出会い 僕の場合

今日も聞かれ、男の菜食料理研究家が
珍しいのか
ここのところ、よく聞かれるのがなぜ
僕が菜々食にかよい、料理家としての道と
菜食料理にはまったのかと言うことを、ちょっぴりお話しようと思います。

8年以上も前でしょうか、
僕がある夜中
脳内出血で倒れると言うことがありました。

意識不明で今夜が峠と言われるほどの
急死をさまよう状態。
病院の集中治療室にはいるまでは
あちこち病院をたらいまわしになるほど
受け入れてもらえなかったそうです。

受け入れてもらったときは

処置の施しようもない状態で
点滴し、集中治療室にいるだけだったらしく、
もう駄目だとか、助かっても後遺症で
寝たままだとか。
そんなときに、僕の知り合いの人が
SAYURI先生にお話ししたところ(僕ももちろん知っていました。)

病院の集中治療室にきてくださって
家族に猛反対にあいながらも

出来る限りのことはさせていただきます。
人として助けるのは当たり前
南野くんが一番頑張っているのに
ご家族の皆さんが失望するのがおかしい。悲しいです。


先生の忍耐力と深い人間愛は

本当にすごく、やり遂げる。
そして駄目だと思ったことがないほど。

あきらめない人で、僕に
あきらめずにここまで手助けをしてくれた人は
先生以外はみたことがありません。
食事療法は、意識が戻ってからとなるので

手のひら療法?アシストと言うものを御存じだった先生は、
病院に2ヶ月間程度、毎日睡眠時間もとらずにつきっきりで
僕にその療法をしてくださったそうです。
脳内出血で、薬も手術もできない僕は
ずっとうなされ、そして熱が上がりっぱなしで
その僕に、毎晩きまった時間帯に、
手のひら療法をしてくださっていたのです。
ある日、ふと手のひら療法後に、すっと寝れ、熱が下がった日がありました。
体温計を差し込み、うなされたのがうそのように
(その時、僕の家族がいて奇跡だと思ったそうです。)
それから、ずっと寝た切りでしたが
毎日毎日、意識を現在に戻すための治療をつづけ

(アメリカでは行われている治療の一種だそうです。)

意識が戻ったものの、普通は後遺症などで
1.2年は寝たり切りと医師に通告されていましたが
毎日毎日、さゆり先生によるアシストで
びっくりするほどの回復で、2か月で立ちあがり、歩けるようになりました。

本当にびっくりです、後遺症もなく
ただただ、医師は手術も薬も施しようもなかったのに
ここまで回復したことに驚きびっくりしていました。
そして一緒治らないといわれていたもやもや病が
退院後、先生による食事療法とアシストにより
検査に言ったら消えてて!!!!!!
これはまさに奇跡だと医者の先生にも言われました。
これ以来、僕は菜食が好きで
菜々食CookingClassが僕の生き方で
先生が師匠です。
簡単ですが、そういったいきさつがあるのです。
ではまた!

菜々食と出会い (追伸)
僕は一度、死の淵を体験し、
それを小百合先生に助けていただき
そして奇跡を体験したので
この菜食料理を
それでなくてもおいしくてキレイで
華やかで健康な
この料理を菜々食の仲間と共に
たくさんの人に広げ、喜んでもらいたいと思っています。
母が調理師と言うこともあり
小百合先生からは
味付けのセンスがあると
言ってもらえたのと
こういったいきさつで

この菜々食の素晴らしさ、この食事の楽しさ
大切さを色々な人に伝えたいと思っています。
料理人としても楽しい
ベジタブル生活も送れいまは本当に充実しています。

日々、忘れそうになるなる感謝を思いだし
精一杯、菜々食や仲間や先生やこらから出会う人たちの
お役にたてるように頑張っていきたいと思います。
実体験からの これが僕からのメッセージです。
読んでくださってありがとうございました




菜々食CookingClass~:南野



Posted by レシピ制作・開発・レシピ動画専門スタジオ(菜々食cookingclass神戸料理教室) at 04:06│Comments(0)
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。